中橋愛生(NAPP)の不定期日記
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ご存知の方も多いと思いますが、尾高賞に望月京「クラウド・ナイン」が選ばれたそうです。昨年の「ミュージック・トゥモロー」には行けなくて、演奏はラジオでしか聴いていなかったので、もう一度聴ける機会ができたのは嬉しいです。あの曲は生で聴かないと分からない、と専らの評判でしたし。
ところで、最新号のバンドジャーナルにJBA・下谷作曲賞の案内が出ていますが、その「賞の説明」として『「尾高賞」「芥川作曲賞」などに当たる』と書いてあります。となると、課題曲公募の朝日作曲賞は、「日本音コン」か「武満賞」か、はたまた「日本交響楽振興財団作曲賞」か・・・・・朝日賞が下谷賞より権威(というより影響力)があることを考えると、「尾高賞」は厳しいのでは・・・・・とくだらない揶揄を考えてみたり。
周知のように下谷賞は今回から制度が変わり、昨年演奏された作品を音源と楽譜で審査し、受賞者には賞金と同時に新作の委嘱がなされる、ということになるそうです。とすると、「芥川作曲賞」が一番近いかな?新制度にした結果がどうなるのか、今後が注目ですね。
さて、今日は東京佼成WOの第84回定期演奏会を聴きに行ってきました。今回はヨーロッパの人気作曲家の作品で構成された演奏会。
個人的には、どうもヨーロッパの吹奏楽作曲家の作品は好きになれないんですね。部分部分を見るととても効果的だしドラマティックに鳴るので、それはそれで面白いと思うのですが、全体を聴くと、その各場面の連続性に非常に疑問が残ります。場面展開の必然性に欠けるというか、構成力に乏しいというか、ぶっちゃけ「思いつきで書いてるんじゃないか」感が非常に強い。今回、ヴァンデルローストの冒頭で独奏のオフステージでの開始は必然性が感じられなかったし、他のチェザリーニにしてもフェランにしても曲だけでは(ライナーがなければ)音楽的な転換の必然性が不明なままだろうし、意図を伝える為に使う音響が露骨すぎてBGMっぽい展開にしかならない。個々の場面の作り方にしても、破滅や闘いの描写に現代(っぽい)語法を使い、頂点で止めてコラールで締める、というのは安直じゃないのか?渾沌を描くために「渾沌とした書法」をしてしまったら、それは「破滅」ではなく「支離滅裂」にしかならないと思います。どうやって統制をとり、どこへ「持っていくか」をもうちょっと考えるべきではないか、と思った次第。現代語法での静かな表現、ってのも聴いてみたいですし。
そんな中で、グレグソン「フェスティーヴォ」はソナタ形式を遵守しつつも、短いファンファーレとして効果的に鳴らすという目的を達成している点で、他の曲よりも際立って聴こえました。ここらへんはノーザンカレッジの学長は伊達じゃない、ということろですね。
チェザリーニの「ブルー・ホライズン」はテープを使った形での演奏は初めて聴きました。人気のある曲なので言いにくいですが、言わせて頂きましょう。これって、ホヴァネス「そして神は大いなる鯨を創り賜うた」じゃないですか?私、チェザリーニは「コンヴァージェンツ」とか書いていた頃が一番光っていたように思います・・・・・
ヴァンデルローストの世界初演となるバスクラリネット協奏曲「感傷的3章」。今日はこれを目当てに行きました。私だったらこの題材で書けと言われたら、果てしなく途方に暮れます(笑)。この編成でやはり一番気になるのは「独奏は聴こえるのか?」ということ。そこは、オーケストレーションが巧みなヴァンデルローストなのだから、きっと上手く書いているのだろう、と興味津々。ちょうど似たような音域の楽器のための協奏曲を書いてることだし、参考に・・・・・と企んだ次第。で、PAが用意されたときはガックシ。それは反則だよ・・・・・でも、実際にはマイクにはあまり音は通していないらしく、アンプリファイ感はほとんどなく、ほぼ生音に近い音だったので、あれは気休め程度の補強だったのかもしれません。確かにバンドの抑え方と、鳴らすべき場所での鳴らし方は、ツボを心得た熟達の技で流石。ヴァンデルローストの近作に見られる「なんちゃってゲンダイオンガク」的書法は正直感心しないのですが、今回の曲ではそれはほとんど見られず、ヴァンデルローストの一番「いい」部分を聴けたのではないかと思います。二楽章の終盤なんかは、とても興味深い響きがしていました。 それにしても佼成は以前にも「コントラバス協奏曲」とか委嘱していましたが、この手のチャレンジャブルな協奏曲が好きなのでしょうかね?四月に演奏するのは松下功「三味線協奏曲」だそうですし。
最後はフェランの交響曲第二番「キリストの受難」。実はこれまでに全曲版を聴いた事がなく、今回初めて聴きました。これまではコンクールで抜粋版を聴いただけで、それでは「???」な曲だったので・・・・・先にも書いた通り、ライナーを読まなければ展開の必然性が不明な点が多いのですが、逆にライナーを読みながらだと実に描写的に書かれていて「字幕付きで聴きたい」と思わせる曲だと感じました。とにかく劇的に・圧倒的に鳴る曲。つなぎはともかく、各場面の閉じ方には色々な趣向が凝らしてあってオーケストレーション上の興味をひきました。
総じて、ヨーロッパの作曲家は劇的に部分を創ることには長けているけど、構成力がないんだな〜、という認識を新たにした演奏会でした。
ちなみに私、ボストックの指揮、かなり好みです。
今日は、よく会う方、久しぶりに会う方、初めて会う方、と多くの方に会えたのが収穫でした(いつも紹介してくれるTさん、ありがとうございます!)。あと、芸劇であると、楽でいいです(笑)
ところで、最新号のバンドジャーナルにJBA・下谷作曲賞の案内が出ていますが、その「賞の説明」として『「尾高賞」「芥川作曲賞」などに当たる』と書いてあります。となると、課題曲公募の朝日作曲賞は、「日本音コン」か「武満賞」か、はたまた「日本交響楽振興財団作曲賞」か・・・・・朝日賞が下谷賞より権威(というより影響力)があることを考えると、「尾高賞」は厳しいのでは・・・・・とくだらない揶揄を考えてみたり。
周知のように下谷賞は今回から制度が変わり、昨年演奏された作品を音源と楽譜で審査し、受賞者には賞金と同時に新作の委嘱がなされる、ということになるそうです。とすると、「芥川作曲賞」が一番近いかな?新制度にした結果がどうなるのか、今後が注目ですね。
さて、今日は東京佼成WOの第84回定期演奏会を聴きに行ってきました。今回はヨーロッパの人気作曲家の作品で構成された演奏会。
個人的には、どうもヨーロッパの吹奏楽作曲家の作品は好きになれないんですね。部分部分を見るととても効果的だしドラマティックに鳴るので、それはそれで面白いと思うのですが、全体を聴くと、その各場面の連続性に非常に疑問が残ります。場面展開の必然性に欠けるというか、構成力に乏しいというか、ぶっちゃけ「思いつきで書いてるんじゃないか」感が非常に強い。今回、ヴァンデルローストの冒頭で独奏のオフステージでの開始は必然性が感じられなかったし、他のチェザリーニにしてもフェランにしても曲だけでは(ライナーがなければ)音楽的な転換の必然性が不明なままだろうし、意図を伝える為に使う音響が露骨すぎてBGMっぽい展開にしかならない。個々の場面の作り方にしても、破滅や闘いの描写に現代(っぽい)語法を使い、頂点で止めてコラールで締める、というのは安直じゃないのか?渾沌を描くために「渾沌とした書法」をしてしまったら、それは「破滅」ではなく「支離滅裂」にしかならないと思います。どうやって統制をとり、どこへ「持っていくか」をもうちょっと考えるべきではないか、と思った次第。現代語法での静かな表現、ってのも聴いてみたいですし。
そんな中で、グレグソン「フェスティーヴォ」はソナタ形式を遵守しつつも、短いファンファーレとして効果的に鳴らすという目的を達成している点で、他の曲よりも際立って聴こえました。ここらへんはノーザンカレッジの学長は伊達じゃない、ということろですね。
チェザリーニの「ブルー・ホライズン」はテープを使った形での演奏は初めて聴きました。人気のある曲なので言いにくいですが、言わせて頂きましょう。これって、ホヴァネス「そして神は大いなる鯨を創り賜うた」じゃないですか?私、チェザリーニは「コンヴァージェンツ」とか書いていた頃が一番光っていたように思います・・・・・
ヴァンデルローストの世界初演となるバスクラリネット協奏曲「感傷的3章」。今日はこれを目当てに行きました。私だったらこの題材で書けと言われたら、果てしなく途方に暮れます(笑)。この編成でやはり一番気になるのは「独奏は聴こえるのか?」ということ。そこは、オーケストレーションが巧みなヴァンデルローストなのだから、きっと上手く書いているのだろう、と興味津々。ちょうど似たような音域の楽器のための協奏曲を書いてることだし、参考に・・・・・と企んだ次第。で、PAが用意されたときはガックシ。それは反則だよ・・・・・でも、実際にはマイクにはあまり音は通していないらしく、アンプリファイ感はほとんどなく、ほぼ生音に近い音だったので、あれは気休め程度の補強だったのかもしれません。確かにバンドの抑え方と、鳴らすべき場所での鳴らし方は、ツボを心得た熟達の技で流石。ヴァンデルローストの近作に見られる「なんちゃってゲンダイオンガク」的書法は正直感心しないのですが、今回の曲ではそれはほとんど見られず、ヴァンデルローストの一番「いい」部分を聴けたのではないかと思います。二楽章の終盤なんかは、とても興味深い響きがしていました。 それにしても佼成は以前にも「コントラバス協奏曲」とか委嘱していましたが、この手のチャレンジャブルな協奏曲が好きなのでしょうかね?四月に演奏するのは松下功「三味線協奏曲」だそうですし。
最後はフェランの交響曲第二番「キリストの受難」。実はこれまでに全曲版を聴いた事がなく、今回初めて聴きました。これまではコンクールで抜粋版を聴いただけで、それでは「???」な曲だったので・・・・・先にも書いた通り、ライナーを読まなければ展開の必然性が不明な点が多いのですが、逆にライナーを読みながらだと実に描写的に書かれていて「字幕付きで聴きたい」と思わせる曲だと感じました。とにかく劇的に・圧倒的に鳴る曲。つなぎはともかく、各場面の閉じ方には色々な趣向が凝らしてあってオーケストレーション上の興味をひきました。
総じて、ヨーロッパの作曲家は劇的に部分を創ることには長けているけど、構成力がないんだな〜、という認識を新たにした演奏会でした。
ちなみに私、ボストックの指揮、かなり好みです。
今日は、よく会う方、久しぶりに会う方、初めて会う方、と多くの方に会えたのが収穫でした(いつも紹介してくれるTさん、ありがとうございます!)。あと、芸劇であると、楽でいいです(笑)
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プロフィール
HN:
NAPP
年齢:
46
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性別:
男性
誕生日:
1978/06/19
職業:
作曲家、のはず
自己紹介:
作曲家。
東京音楽大学・非常勤講師(作曲)。
NHK-FM「吹奏楽のひびき」担当。
東京音楽大学・非常勤講師(作曲)。
NHK-FM「吹奏楽のひびき」担当。
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