中橋愛生(NAPP)の不定期日記
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東京佼成ウインドオーケストラの第89回定期演奏会を聴きに行く(ミューザ川崎シンフォニーホール)。
今回は「須川展也のノスタルジアと未来への展望」と題したもので、課題曲も2曲やるから客層は中高生が中心・・・・・と思いきや、客席にはむしろ年配の人が多かった印象(席のせい?)。
新旧の課題曲以外の曲は、私がプログラム解説を書きました。
今年の課題曲2曲(IとIII)は、やはり例年に比べて格段に出来がいい。生で聴くとそれが実感できました。ただ、どちらも非常に難しい。全体をどう創り上げるかの計画を周到に立てなければ、全曲通して聴かせられる演奏にするのは困難。Iはかなりの技術力が要求され、IIIは持続力が至上命題。これをクリアするのはプロでも至難の業かと。それを痛感した演奏。課題曲IIIの冒頭の緊張感はさすがプロか。
リード「パンチネロ」は快演だったような。今回解説を書くに当たって、よく言われる「パンチネロの物語(人形劇のあらすじ)と曲が一致していない」というのを、副題からアプローチすることでシェイクスピア・シリーズと結びつけてみる試みをしたのだけど、どうだったでしょう?「架空の物語への序曲」とすることで次に演奏される課題曲とひっかけてみたのだけど、この遊びにはどれだけの人が気付いてくれたか(笑)
クレストン「序奏とダンス」は、テンポ設定が適切だったのが嬉しい演奏。この曲はスコアを見たときから思っていたのだけど、バランスの調整がものすごく難しい。初演の編成は、フルートの人数がとても多かったのではないだろうか、とか、色々とオーケストレーション上の不思議な点がある(他のクレストン作品ではあまりその印象は受けなかった)。曲のテンションの高さと、全体を統制する理性の狭間で苦しんだ感の演奏。
「高度な技術〜」は随分久し振りに聴いた気がする。CDもあるのに。改めて聴くと、部分の連続性に疑問がありまくりなのだけど(笑)、この種の曲でそれを言うのも野暮というものだろう。どうしても「シエナ」とかを連想してしまうけど、これは須川さんが中一のときの課題曲だったからプログラムに載ったのだ、というのは明記しておきたいポイント。
「シンフォニア・ノビリシマ」をプロの演奏で生で聴く機会は殆どないと思う。年配層のお客さんたちはこれを目当てに来ていたのではないか、と思ったり。演奏は歌い方に工夫があったりして、フンフンと思いながら面白く聴けました。
グランサム「舞楽」はちょうど一年前にTKWOによって初演された委嘱作品。そのときも好印象だったけれど、解説を書くに当たってスコアを読んだり音源を聴いたりして、その印象を強くしました。今日の演奏も色彩感と躍動感溢れる切れ味鋭い好演。この「Court Music」を雅楽とかと訳さないで「舞楽」と初めに訳した人には敬意を表したいです。
一曲目のリード「バラード」と最後のスウェルツ「ウズメの踊り」、それにアンコールのピアソラ「アディオス・ノニーノ」は、須川さんのサックスがやっぱり素晴らしい。このところ超過密スケジュールだと聞いていたのだけど、全くそれを感じさせない演奏。ところで、スウェルツのこの曲は、完成したあとに須川さんが「ウズメの踊り」というタイトルを付けた、と聞いていたのだけど、違うのかな?あの話し振りだと、最初からそのタイトルがあって、それをスウェルツが考えながら曲を作ったようだったのだけど・・・・・
この演奏会のプログラムには曲解説の他に、須川さんによる序文・私による導入文・緒方英子さんによる中間コラム・小倉清澄さんによる結尾コラムが載っていました。実は私も他に「中高生に向けたメッセージを」ということでコラムを依頼されて書いていたのですが、今回、掲載されなかったようです。原稿を書き上げた直後から私は長期間留守にしていたので、多分その間に体裁が変更になってカットになったのでしょう。確かに同じ人が二回も文章を書いているのは変だったかも。結果的にはよかったのか。
でも、何となく勿体ないので、ここに載せておきます。
中高生向けなので、デスマス調なのが気恥ずかしい(笑)
〜〜ここから〜〜
今日の解説は「中高生の皆さんを対象に」とのことで、いつもよりも分かりやすく書いたつもりでしたが、いかがだったでしょうか?ある人には難しく、ある人には物足りなかったかも知れませんが…
今回、「中高生のためにメッセージを」と頼まれましたので、恥ずかしながらここにも書かせて頂くことになりました。
多くの音楽をやっている人たちにとって、吹奏楽というのは《故郷》であるようです。アマチュアの人たちは勿論、プロの演奏家、管弦楽団の団員、音楽学者、音楽大学の学生… 色々な人たちと話す機会がありましたが、現在は吹奏楽と絶縁(?)関係にあるような著名な音楽家でも「あぁ、あの頃は…」と目を細めるものです。吹奏楽から出発し、ジャンルに捉われずに幅広く音楽の発展に貢献する。実に素晴らしい話です。もしかしたら吹奏楽は日本の《音楽》全体の故郷なのかもしれません。(言い過ぎ?)
皆さんが将来、ずっと吹奏楽の「演奏」を続けていかれるかは分かりません。違うジャンルの音楽をやる方もいれば、「聴く」だけの方、もしかしたら「音楽」への興味を失くす方もいれば、TKWOの団員として世界をリードする方もいるかもしれません。続ける/続けないにしろ、「吹奏楽をやっていた」という経験は、音楽以外のことにも息づいていくことは間違いないでしょう。要は、この経験を「どう延ばしていったか」による違いに過ぎません。未来へ向けてどう進むか。これが皆さんにとって一番大切なことであり、人生の先輩たちが期待していることなのです。
ところでその《故郷》たる吹奏楽なのですが、あまりにも居心地がいいためなのか、なかなか未来へと進んでくれないようです。大人になっても続けて下さる方がたくさんいらっしゃるのは嬉しいことなのですが、どうも、中高生の頃を懐かしむあまり、その頃と同じことばかりを繰り返す人も少なくないようです。(もちろん、そうじゃない人もたくさんいますよ!)中高生の頃は、全てが新鮮です。どんな活動も全てが「新しいこと」で発展的と言えるでしょう。だけど、いつまでも「新しい」とは限らない…そのことには気付きにくいものなのです。《郷愁》に浸るあまり、先へ進むことを忘れてしまう。そういう《故郷》は寂しいな、と思いませんか?そして、いつしか故郷は閉鎖的になり、巣立った人が帰ってきにくい所になってしまったような気がします。
どんな人でも「懐かしい」と思う時代があります。そして、それを大事にしているからこそ、新しいことに挑戦できる、創造的であれる、次の世代へ託すことができる。そんなことを、今回の解説を書きながら考えたものです。
《故郷》は大事にしましょう。そして、そこから巣立ち、やがて《故郷に錦》を!
今回は「須川展也のノスタルジアと未来への展望」と題したもので、課題曲も2曲やるから客層は中高生が中心・・・・・と思いきや、客席にはむしろ年配の人が多かった印象(席のせい?)。
新旧の課題曲以外の曲は、私がプログラム解説を書きました。
今年の課題曲2曲(IとIII)は、やはり例年に比べて格段に出来がいい。生で聴くとそれが実感できました。ただ、どちらも非常に難しい。全体をどう創り上げるかの計画を周到に立てなければ、全曲通して聴かせられる演奏にするのは困難。Iはかなりの技術力が要求され、IIIは持続力が至上命題。これをクリアするのはプロでも至難の業かと。それを痛感した演奏。課題曲IIIの冒頭の緊張感はさすがプロか。
リード「パンチネロ」は快演だったような。今回解説を書くに当たって、よく言われる「パンチネロの物語(人形劇のあらすじ)と曲が一致していない」というのを、副題からアプローチすることでシェイクスピア・シリーズと結びつけてみる試みをしたのだけど、どうだったでしょう?「架空の物語への序曲」とすることで次に演奏される課題曲とひっかけてみたのだけど、この遊びにはどれだけの人が気付いてくれたか(笑)
クレストン「序奏とダンス」は、テンポ設定が適切だったのが嬉しい演奏。この曲はスコアを見たときから思っていたのだけど、バランスの調整がものすごく難しい。初演の編成は、フルートの人数がとても多かったのではないだろうか、とか、色々とオーケストレーション上の不思議な点がある(他のクレストン作品ではあまりその印象は受けなかった)。曲のテンションの高さと、全体を統制する理性の狭間で苦しんだ感の演奏。
「高度な技術〜」は随分久し振りに聴いた気がする。CDもあるのに。改めて聴くと、部分の連続性に疑問がありまくりなのだけど(笑)、この種の曲でそれを言うのも野暮というものだろう。どうしても「シエナ」とかを連想してしまうけど、これは須川さんが中一のときの課題曲だったからプログラムに載ったのだ、というのは明記しておきたいポイント。
「シンフォニア・ノビリシマ」をプロの演奏で生で聴く機会は殆どないと思う。年配層のお客さんたちはこれを目当てに来ていたのではないか、と思ったり。演奏は歌い方に工夫があったりして、フンフンと思いながら面白く聴けました。
グランサム「舞楽」はちょうど一年前にTKWOによって初演された委嘱作品。そのときも好印象だったけれど、解説を書くに当たってスコアを読んだり音源を聴いたりして、その印象を強くしました。今日の演奏も色彩感と躍動感溢れる切れ味鋭い好演。この「Court Music」を雅楽とかと訳さないで「舞楽」と初めに訳した人には敬意を表したいです。
一曲目のリード「バラード」と最後のスウェルツ「ウズメの踊り」、それにアンコールのピアソラ「アディオス・ノニーノ」は、須川さんのサックスがやっぱり素晴らしい。このところ超過密スケジュールだと聞いていたのだけど、全くそれを感じさせない演奏。ところで、スウェルツのこの曲は、完成したあとに須川さんが「ウズメの踊り」というタイトルを付けた、と聞いていたのだけど、違うのかな?あの話し振りだと、最初からそのタイトルがあって、それをスウェルツが考えながら曲を作ったようだったのだけど・・・・・
この演奏会のプログラムには曲解説の他に、須川さんによる序文・私による導入文・緒方英子さんによる中間コラム・小倉清澄さんによる結尾コラムが載っていました。実は私も他に「中高生に向けたメッセージを」ということでコラムを依頼されて書いていたのですが、今回、掲載されなかったようです。原稿を書き上げた直後から私は長期間留守にしていたので、多分その間に体裁が変更になってカットになったのでしょう。確かに同じ人が二回も文章を書いているのは変だったかも。結果的にはよかったのか。
でも、何となく勿体ないので、ここに載せておきます。
中高生向けなので、デスマス調なのが気恥ずかしい(笑)
〜〜ここから〜〜
今日の解説は「中高生の皆さんを対象に」とのことで、いつもよりも分かりやすく書いたつもりでしたが、いかがだったでしょうか?ある人には難しく、ある人には物足りなかったかも知れませんが…
今回、「中高生のためにメッセージを」と頼まれましたので、恥ずかしながらここにも書かせて頂くことになりました。
多くの音楽をやっている人たちにとって、吹奏楽というのは《故郷》であるようです。アマチュアの人たちは勿論、プロの演奏家、管弦楽団の団員、音楽学者、音楽大学の学生… 色々な人たちと話す機会がありましたが、現在は吹奏楽と絶縁(?)関係にあるような著名な音楽家でも「あぁ、あの頃は…」と目を細めるものです。吹奏楽から出発し、ジャンルに捉われずに幅広く音楽の発展に貢献する。実に素晴らしい話です。もしかしたら吹奏楽は日本の《音楽》全体の故郷なのかもしれません。(言い過ぎ?)
皆さんが将来、ずっと吹奏楽の「演奏」を続けていかれるかは分かりません。違うジャンルの音楽をやる方もいれば、「聴く」だけの方、もしかしたら「音楽」への興味を失くす方もいれば、TKWOの団員として世界をリードする方もいるかもしれません。続ける/続けないにしろ、「吹奏楽をやっていた」という経験は、音楽以外のことにも息づいていくことは間違いないでしょう。要は、この経験を「どう延ばしていったか」による違いに過ぎません。未来へ向けてどう進むか。これが皆さんにとって一番大切なことであり、人生の先輩たちが期待していることなのです。
ところでその《故郷》たる吹奏楽なのですが、あまりにも居心地がいいためなのか、なかなか未来へと進んでくれないようです。大人になっても続けて下さる方がたくさんいらっしゃるのは嬉しいことなのですが、どうも、中高生の頃を懐かしむあまり、その頃と同じことばかりを繰り返す人も少なくないようです。(もちろん、そうじゃない人もたくさんいますよ!)中高生の頃は、全てが新鮮です。どんな活動も全てが「新しいこと」で発展的と言えるでしょう。だけど、いつまでも「新しい」とは限らない…そのことには気付きにくいものなのです。《郷愁》に浸るあまり、先へ進むことを忘れてしまう。そういう《故郷》は寂しいな、と思いませんか?そして、いつしか故郷は閉鎖的になり、巣立った人が帰ってきにくい所になってしまったような気がします。
どんな人でも「懐かしい」と思う時代があります。そして、それを大事にしているからこそ、新しいことに挑戦できる、創造的であれる、次の世代へ託すことができる。そんなことを、今回の解説を書きながら考えたものです。
《故郷》は大事にしましょう。そして、そこから巣立ち、やがて《故郷に錦》を!
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プロフィール
HN:
NAPP
年齢:
46
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/06/19
職業:
作曲家、のはず
自己紹介:
作曲家。
東京音楽大学・非常勤講師(作曲)。
NHK-FM「吹奏楽のひびき」担当。
東京音楽大学・非常勤講師(作曲)。
NHK-FM「吹奏楽のひびき」担当。
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