中橋愛生(NAPP)の不定期日記
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私が編曲した「大江戸ダンス・東京ラプソディ2004」の楽譜が完成した、らしいです。
東京都内の学校 約100校に無料配布する、らしいです。
販売もしているそうなのですが、限定100部のみ、らしいです。
なんだか「らしい」ばかりですが、この楽譜に関しては校正まではやったものの、その後の連絡が一切ないんですね。私のところには現物が届いていない(笑) う〜ん、「私は別に演奏するわけじゃないから、いらないです」って言ったっけか?よく覚えてないけど。
まぁ、恐らく私の最初で最後のポップスアレンジものの楽譜、興味ある方は買ってあげてください。
http://www.oh-edo.jp/news.htm
それはともかく、明日は「科戸の鵲巣」の初演。ドキドキ・・・・・
東京都内の学校 約100校に無料配布する、らしいです。
販売もしているそうなのですが、限定100部のみ、らしいです。
なんだか「らしい」ばかりですが、この楽譜に関しては校正まではやったものの、その後の連絡が一切ないんですね。私のところには現物が届いていない(笑) う〜ん、「私は別に演奏するわけじゃないから、いらないです」って言ったっけか?よく覚えてないけど。
まぁ、恐らく私の最初で最後のポップスアレンジものの楽譜、興味ある方は買ってあげてください。
http://www.oh-edo.jp/news.htm
それはともかく、明日は「科戸の鵲巣」の初演。ドキドキ・・・・・
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本日は佼成の新譜「フェスタ」の発売日。話によれば出足好調だそうで、まずは一安心。
私は解説を書かせて頂いたのですが、バンドパワーで富樫哲佳氏に、某誌上で片山杜秀氏にライナーを誉めて頂いてビックリ。富樫氏はデータ面を揃えたことを誉めて下さったのだけど、シエナWOのメルマガで氏が書いたアルメニアンダンスについてのコラムはまさに「へぇ」の連続で、それを思うと恐縮至極。こちらとしては頭が下がるどころか平身低頭の思い。
私の解説は分かる人には分かると思うけど、片山氏のスタイルに近づこう近づこうと努力したもの。とにかく、単に「曲の解説」ではなく「その作曲家とジャンル、作品がどう結びついているか」を紹介し、その作品をきっかけに色んなものを聴いてみたいと思ってもらえるようにしよう、というのが私の解説の理想。で、それを一番実践しているのは片山氏なのであって、私なんぞはその足下にも及ばない。だから誉められると縮こまってしまうのです。
もし私の解説を気に入って下さった方がいたのだとしたら、賞賛すべきは私ではなく、一介の若造を執筆者に推薦して下さった某文化財団のK氏と、それを快諾し全面的に協力して下さったディレクターのM氏の度量だと思います。音楽界の発展を本当に担っているのは、名前を表に出している人間なのではなく、その後ろにいる人々なのだ、ということを思い知った今回の仕事でした。
ということ(?)で、ぜひこのCD、買って下さい!
私は解説を書かせて頂いたのですが、バンドパワーで富樫哲佳氏に、某誌上で片山杜秀氏にライナーを誉めて頂いてビックリ。富樫氏はデータ面を揃えたことを誉めて下さったのだけど、シエナWOのメルマガで氏が書いたアルメニアンダンスについてのコラムはまさに「へぇ」の連続で、それを思うと恐縮至極。こちらとしては頭が下がるどころか平身低頭の思い。
私の解説は分かる人には分かると思うけど、片山氏のスタイルに近づこう近づこうと努力したもの。とにかく、単に「曲の解説」ではなく「その作曲家とジャンル、作品がどう結びついているか」を紹介し、その作品をきっかけに色んなものを聴いてみたいと思ってもらえるようにしよう、というのが私の解説の理想。で、それを一番実践しているのは片山氏なのであって、私なんぞはその足下にも及ばない。だから誉められると縮こまってしまうのです。
もし私の解説を気に入って下さった方がいたのだとしたら、賞賛すべきは私ではなく、一介の若造を執筆者に推薦して下さった某文化財団のK氏と、それを快諾し全面的に協力して下さったディレクターのM氏の度量だと思います。音楽界の発展を本当に担っているのは、名前を表に出している人間なのではなく、その後ろにいる人々なのだ、ということを思い知った今回の仕事でした。
ということ(?)で、ぜひこのCD、買って下さい!
「科戸の鵲巣」の練習のため、陸上自衛隊中央音楽隊にお邪魔させて頂く。こんなに頻繁に訪隊する作曲家ってのも珍しい?しかも色々立場が変わるし(笑)
フェネルの訃報の直後なので「祝典序曲」というのも、とは思いましたが、そこは気持ちを切り替えてのぞまなければ。
この曲は「遮光の反映」「シンタックス・エラー」「玻璃ぷりずむ」といった私の他のどの吹奏楽作品に比べてもダントツで難しい曲なのですが、いや、やっぱり中音さんはすごいですね。テクニック的な面での不安は微塵もありません。表現上の問題にしても、ちょっと「?」と思ったところは次の合わせでは自己修正してくれていますので、こちらから何か注文をつける必要はほとんどないわけです。下手に口を出すと結果的にそこだけデフォルメされてしまうことにもなりかねないので、意図に反していない限りは黙っていたほうがよい結果になります。プロにやって頂く合奏は、聴いているだけで勉強になります。「交響残象」の練習以来、久々の体験。あとは本番までに合奏の回数を重ねて頂ければ、とてもよい演奏に仕上げて下さるでしょう。
ついでに、一緒に演奏される伊福部昭「交響譚詩」(松木敏晃:編)の練習も見学させて頂く。必要と思われる楽器はふんだんに加え、逆に不必要な楽器は容赦なく削る、という編成が素敵。当たり前のように思われるかもしれないけれど、これがなかなか出来る事ではなかったりする。まぁ、どんな編成になっているかは当日見て頂ければ分かると思いますが・・・・・ 他にも、私の編曲には全くない発想がたくさん盛り込まれていて、実に面白かったです。松木さんの伊福部作品編曲は以前の「タプカーラ」のときもそうでしたが、作品への愛情がバシバシ伝わってくる実に素晴らしいもの。これを当日聴ける人は幸せ者ですよ。
フェネルの訃報の直後なので「祝典序曲」というのも、とは思いましたが、そこは気持ちを切り替えてのぞまなければ。
この曲は「遮光の反映」「シンタックス・エラー」「玻璃ぷりずむ」といった私の他のどの吹奏楽作品に比べてもダントツで難しい曲なのですが、いや、やっぱり中音さんはすごいですね。テクニック的な面での不安は微塵もありません。表現上の問題にしても、ちょっと「?」と思ったところは次の合わせでは自己修正してくれていますので、こちらから何か注文をつける必要はほとんどないわけです。下手に口を出すと結果的にそこだけデフォルメされてしまうことにもなりかねないので、意図に反していない限りは黙っていたほうがよい結果になります。プロにやって頂く合奏は、聴いているだけで勉強になります。「交響残象」の練習以来、久々の体験。あとは本番までに合奏の回数を重ねて頂ければ、とてもよい演奏に仕上げて下さるでしょう。
ついでに、一緒に演奏される伊福部昭「交響譚詩」(松木敏晃:編)の練習も見学させて頂く。必要と思われる楽器はふんだんに加え、逆に不必要な楽器は容赦なく削る、という編成が素敵。当たり前のように思われるかもしれないけれど、これがなかなか出来る事ではなかったりする。まぁ、どんな編成になっているかは当日見て頂ければ分かると思いますが・・・・・ 他にも、私の編曲には全くない発想がたくさん盛り込まれていて、実に面白かったです。松木さんの伊福部作品編曲は以前の「タプカーラ」のときもそうでしたが、作品への愛情がバシバシ伝わってくる実に素晴らしいもの。これを当日聴ける人は幸せ者ですよ。
フレデリック・フェネル博士が90歳で亡くなられたそうだ。もうお歳なのだからこの日は近い、とは思っていたが、いざその日となるとやはり哀しい。
兼田敏の逝去の際にも書いたけれど、故人の偉業を今後に活かしていけるか、また、忘れ去るという愚挙とならないように努めるのが遺された者の使命だろう。
フェネルといえば「ウインドアンサンブル」だけれども、この概念にしても正確な形で理解している人がどれほどいるかは怪しいものだ(かく言う私だって自信がない)。それを浸透させよう、という意思をなお持ち、実際に活動を行っている人は、いったいどのくらいいるのだろう?図らずも昨日ガレリアウインドの会議で「ウインドアンサンブルは理想論なのか」という議論をしたことを思い出す。私は決して「ウインドアンサンブルの信奉者」ではないけれど、実現できればこの上なく理想の演奏形態であることには同意する。
フェネルの「タイム&ウインズ」や対談集「MUSIC!」、イーストマンの「The Wind Ensemble and its Repertoire」をよく読むと、フェネルでさえも「自身のやりたいこと」と「教育の現場」あるいは「現場のニーズ・要求」の狭間で苦悩していたことがよく分かる。フェネルを賞賛していた人々でさえ、フェネルに活動の自由は与えなかった。それは周囲の期待には極力応えようとするマエストロの優しさなのかもしれないけれど、私は「フェネルのやりたかったこと」が本当は何だったのか、それを実演という形で聴いてみたかった。
結局私は一度もフェネルにお会いすることはおろか、ただの一回の実演にすら接する事ができなかった。このことは私にとって一生悔やまれることになるだろう。残念だ。ただひたすら残念だ。
ただ一つ自信を持って言えるのは、私も紛れもなくフェネルの影響を受けた一人である、ということだ。私が「最後の世代」とならないことを切に願う。
マーキュリーレーベルのCDに収録されている、フェネル指揮・イーストマンウインドアンサンブルによるホルスト「第一組曲」のシャコンヌを聴きながら、深く哀悼の意を捧げます。いってらっしゃい、マエストロ。
兼田敏の逝去の際にも書いたけれど、故人の偉業を今後に活かしていけるか、また、忘れ去るという愚挙とならないように努めるのが遺された者の使命だろう。
フェネルといえば「ウインドアンサンブル」だけれども、この概念にしても正確な形で理解している人がどれほどいるかは怪しいものだ(かく言う私だって自信がない)。それを浸透させよう、という意思をなお持ち、実際に活動を行っている人は、いったいどのくらいいるのだろう?図らずも昨日ガレリアウインドの会議で「ウインドアンサンブルは理想論なのか」という議論をしたことを思い出す。私は決して「ウインドアンサンブルの信奉者」ではないけれど、実現できればこの上なく理想の演奏形態であることには同意する。
フェネルの「タイム&ウインズ」や対談集「MUSIC!」、イーストマンの「The Wind Ensemble and its Repertoire」をよく読むと、フェネルでさえも「自身のやりたいこと」と「教育の現場」あるいは「現場のニーズ・要求」の狭間で苦悩していたことがよく分かる。フェネルを賞賛していた人々でさえ、フェネルに活動の自由は与えなかった。それは周囲の期待には極力応えようとするマエストロの優しさなのかもしれないけれど、私は「フェネルのやりたかったこと」が本当は何だったのか、それを実演という形で聴いてみたかった。
結局私は一度もフェネルにお会いすることはおろか、ただの一回の実演にすら接する事ができなかった。このことは私にとって一生悔やまれることになるだろう。残念だ。ただひたすら残念だ。
ただ一つ自信を持って言えるのは、私も紛れもなくフェネルの影響を受けた一人である、ということだ。私が「最後の世代」とならないことを切に願う。
マーキュリーレーベルのCDに収録されている、フェネル指揮・イーストマンウインドアンサンブルによるホルスト「第一組曲」のシャコンヌを聴きながら、深く哀悼の意を捧げます。いってらっしゃい、マエストロ。
昨日、今日と京都の龍谷大学へお邪魔させて頂きました。
昨日は私の指揮で「玻璃ぷりずむ」の練習。私は演奏指導とか、そういうことはぜ〜んぜん出来ない人なので、ひたすら曲の構造を説明したり、楽譜を一部改訂したり、という内容でやらせて頂きました。しかし、みんなよく私のあんな棒でついてこれるなぁ、と感心しきり。
今日は若林先生の指揮で「玻璃ぷりずむ」と「軽騎兵」(私の編曲版)の練習。やっぱ、若林先生の棒だと音楽が生き生きとしてます。「玻璃ぷりずむ」も熱い熱い。炸裂系・ノリノリ系の曲なので、龍大のみんなには合ってる、と自分では思ってます。
いや、実に本番が楽しみです。
昨日は私の指揮で「玻璃ぷりずむ」の練習。私は演奏指導とか、そういうことはぜ〜んぜん出来ない人なので、ひたすら曲の構造を説明したり、楽譜を一部改訂したり、という内容でやらせて頂きました。しかし、みんなよく私のあんな棒でついてこれるなぁ、と感心しきり。
今日は若林先生の指揮で「玻璃ぷりずむ」と「軽騎兵」(私の編曲版)の練習。やっぱ、若林先生の棒だと音楽が生き生きとしてます。「玻璃ぷりずむ」も熱い熱い。炸裂系・ノリノリ系の曲なので、龍大のみんなには合ってる、と自分では思ってます。
いや、実に本番が楽しみです。
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プロフィール
HN:
NAPP
年齢:
47
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/06/19
職業:
作曲家、のはず
自己紹介:
作曲家。
東京音楽大学・非常勤講師(作曲)。
NHK-FM「吹奏楽のひびき」担当。
東京音楽大学・非常勤講師(作曲)。
NHK-FM「吹奏楽のひびき」担当。
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